馬好きのひとりごと

主に競走馬のことを綴ります

関ヶ原

見てきました。

映画「関ヶ原

映画は終演間近に見るものと決めております。

話題に乗り遅れようとも、人がギュウギュウの映画館で隣席のモゾモゾと動く所作や食べ物の音などを気にしてみるよりは広々とした(閑散ともいう)映画館でゆっくりみる映画が好きなの。

だから今回は貸切で見てしまった。なんて贅沢。

しかし、貸切で見るほどでもなかった気もする・・・。

 

で、ここからはごく個人的な感想なので、ネタバレなど気になります方は、これ以上は読まれませんように・・・。

 

感想を一言で表すならば・・・。

良くも悪くも「監督のこだわりがてんこ盛り」の映画でした!

時代背景や戦の方法、武将の身なりなどなど感心するところも多かった。

特に石田光成の嫌われ者の作り方はさすがでした。

なんか嫌な奴、生理的に嫌い、という感情が呼び起されたので、すごく上手に表現されてたと思う。

その分、石田ファンからみると「なにこれ、光成はこんな人ではないよ」ってなるかもね。

ただ、なんというか自分の想いを存分に詰め込もうとした結果、全てが中途半端になるという・・・。

先ほども書いたけど、戦のシーンはそれなりに評価出来る。

「そうそう、戦国時代の戦っていうのはこうなのよ。泥臭くて、どこか卑怯で、勝てばいいが根底にあるし、戦ってるのほとんど農民なんだから、武士道なんかは二の次で」というところが良く表現されていた。

刀と言うものはぶった斬る、叩っ斬るためにある。華麗な斬り合い?なにそれ?美味しいの?

槍は突く前に叩くもの、ぶん回すものでしょ?

という戦場は良く表現されていたと思うの。

だからこそ、詰め込みすぎて中途半端なのがとても残念。

2時間ちょっとで、それは無理よ。というくらい拘ってしまったのに、どうでもいい女忍との余計な掛け合いも捨てがたくて、どちらも詰め込んでしまった結果・・・勿体ない作品になってしまっているのです。

よく調べたら、これって原作があるのね。まぁ、その原作が台無しというレビューが山盛り出てきたから、私の感想もあながち的外れではないってことかな。

それを踏まえて、原作がそもそも台無しになっているのならば、時代背景に拘り、武骨で不器用な光成の生き方にのみ重点を置いて、そこを突き詰めればよかったのに。

そもそもこの作品、戦国史にそれなりの知識を持っていないと全く分からないと思うよ。

観客の歴史の知識がどれだけ高いと思ってます?けっこう知っていると自負する私でさえも途中「・・・?」って取り残されたくらいなので、予備知識ない人なら寝るね。確実に。

なんだかなぁ。

本当にそんな話があったの?とは思うが、原作があるのならば納得もするし、それはそれで有りだと思うので、光成と女忍の恋物語に重点を置けばよかったのに。

ああ残念。

そう、この映画の真の感想は「残念」なのよ。

戦国をリアルに描きたい気持ちに、三成と女忍とのちょっとした恋物語を織り込んだ結果、余計なものに時間を割くことが増えたんだろうけど、本当に残念。

秀吉と北の政所(ネネより、オネが好きなので以下オネに統一)についても、実際そうだったのでしょうけど、名古屋言葉が過ぎて、最早何を言っているのか理解不能なレベルだったし。。。

まずもって、オネ様にまるで品挌がないの。

真田丸で一年間見続けた京香さん演じる、オネ様が私の理想だっただけに・・・なにこのド田舎の百姓感丸出しのオバサンは・・・ってなりました。

秀吉は分かるのよ。品格のないオジサンのまま死んでいったというのも、なんとなく想像できるから納得。

だから、名古屋言葉で早口で喚きたてるキャラも(何を言っているのかはほぼ分からないけど)まぁ許容範囲でした。

でも、オネ様は許せないの。

名古屋言葉は使っても、こんな品のないオバサンではなかったと思う!!って全力で言いたい。

ほら、女性って周りに合わせるのが上手な生き物じゃないですか。その場に馴染む能力が高いと申しますか。人も騙すのも、嘘をつくのが上手なのも、女性の能力だと思うのです。

その能力を持った女性と言う生き物が、まるで女版秀吉のように、下品なままで生き続けたのか?

公家や貴族の方とも接せる機会はあったはずですよ。

きらびやかな姫君たちとも接したでしょう。

それなのに、いつまでも百姓の嫁のまま貫き通したと思いますか?

絶対ないでしょ?ありえないよね?

そこんとこにかなり不満がある。苦笑。

監督が男だからなんでしょうけどね。

あとは、後半に島津家が出てきたからさ~かの有名な「島津の退き口」が見られるのかと期待したら・・・何もなかった・・・。

これなら島津家を登場させたことが謎。

ただでさえ、だらっとし物語になってるんだから、島津家なんてばっさり省けよ。

省いたところで誰も困らんし、秀吉の名古屋言葉にも匹敵するような超薩摩弁で話されてもね~何を話してるのか理解できないので時間の無駄。

 

実は途中、あまりにも飽きてとうとう我慢できずにトイレに立ってしまったんだけどね、何も困らなかったの。笑。

それくらいの映画でした。

 

おわり。