馬好きのひとりごと

主に競走馬のことを綴ります

愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症⑤ 治療中止~最後の日

前回の続きです。

 

【11月15日】

朝は相変わらず横たわってキツそうに横になっていますが、声をかけるとゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。

精一杯無理して「大丈夫だよ」と言ってくれているようでした。

キツイいとしてもまた外が見たいかも、と今朝も玄関を開けると気になる素振りを見せました。

しかし、今日はキツイのか顔は上げても起き上がる様子はないので、ベンチを移動させて外が見えるようにしてあげました。

やはり外を見るのは好きなのでしょう、少し体勢を変えて外の様子を見ていました。

一緒に外を眺めながら、愛猫に話しかけます。

今朝はだいぶ気温が下がり、玄関を開けると冷気が入ってきてかなり冷えています。

風も強かったので「そろそろ寒いからうちに入ろう」と玄関の扉を閉めました。

水の容器を近づけると飲む仕草はしますが、飲むところまではいかない様子。

まだ吐き気が続いているのかもしれません。

飲みたいけど、飲むと気持ち悪くなるので飲めないのかも……。

もう頑張らなくて良いよ、無理しなくて良いよ、と声には出さずに心の中で呟きながらそっと撫でてあげました。

声に出すと愛猫はきっと意味を理解してしまうから。

手伝えることは少ないし、どうしてやれば楽になるのかも分かりません。

すっかり痩せてしまった体を見ていると切なくなります。

以前にも書きましたが心筋症を起こしていると言われた心臓ですが、彼女の心臓は本当にとても強いのだと思いました。

でも、そろそろ楽にしてあげたい。そんな気持ちも頭の片隅に浮かびます。

それにしても、動物って凄いですよね。本当に最後まで諦めることなく、泣き言を言うでもなく、静かに命の終わるその時まで精一杯生きようとするのだから。

 

そんなことを思いながら、行ってきますと愛猫を残して今日も仕事へと向かいます。

この日くらい、休むなり早退するなりすればよかった。

だって、この日の日中にもう一つの小さな奇跡が起きたのだから。

母から昼過ぎにメールが入りました。

日向ぼっこをして、少し元気に水を飲み、元気なときによく見せていた布団を前脚で踏み踏みする仕種までしてみせ、トイレにも自力でいったよ。という内容でした。 

朝はあんなに元気が無かったのに、どこにそんな力が残っていたのでしょう。

嬉しさと、驚きと、これが最後の力なのかもしれないという不安も感じました。

 

帰って詳しく聞くと、母が愛猫に外に出る?と聞くと出たそうな素振りをしたようで、クッションの上に乗せて外に出してやると気持ち良さそうに日向ぼっこを、短い時間ですが楽しんだそうです。

キツイなかでもここ数日で初めて、日常でやっていた行動が出来たのは本当によかった。ただただ横たわって最後を迎えるよりずっとよかったと思います。

最後に好きなことをする時間を神様が与えてくれたのかもしれません。

容態が急変してから今日で6日目、こんなにも穏やかに行動出来る日が来るとは思ってもいませんでした。

仕事中で実際に目にすることが出来ませんでしたが、私が見ていなくても愛猫が楽しいひとときを過ごせたのならばそれで良かった。

なので、帰宅後は構い過ぎると頑張って喉を鳴らすので疲れさせると思い、心を鬼にしてなるべく触りすぎないように気をつけながら、側に居る時間を少しだけ減らしました。

本当にそれが正解だったのか、それは分かりません。

疲れてもいいから、本当はずっと側にいて撫でて欲しかったのかもしれません。

でも、日中に穏やかに過ごせる体力が作れるのならば、と私はいつもどおり接することを選びました。

そんな中でふと、昼間の元気があればもしかしてエサが食べられるかも、という思いが私の頭によぎりました。

ダメ元でスプーンに乗せた液状のエサを差し出すと、本当に一口、いやほんの一舐めだけでしたが、急変以来、初めてエサを口にしたのです。

嬉しくて嬉しくて、もしかしたら本当に奇跡が起きるのかも、なんてことまで考えてしまいました。

すでに愛猫の命の期限は20時間を切っていたというのに…。

あとになって思うのは、愛猫なりに最後に私を喜ばせようとしてくれたではないかと。

液状であろうと、6日も絶食しているのですから胃が受け付けるはずもないんですよね…。

 

【11月16日】

愛猫の命が終わる日。

容体急変から7日目。

 

今朝も変わらず、私は起こるはずのない奇跡を愚かにも信じ始めていました。

愛猫におはようの声をかけて、背中を撫で、今日も舐めるかなぁと液状のエサをスプーンにのせて差し出すと、ほんのひと舐めでしたが今日もエサを舐めたのですから…。

水に至っては小皿に入れて差し出すとペロペロと飲みました。

今朝も液状のエサを舐め、飲水したことを母に報告し、食べるかもしれないから小皿にエサを入れたままにして置いてあることも伝えました。

そして、いつものように「行ってきます」の挨拶をしましたが、いつもより丁寧に頭を撫でました。

奇跡を信じながらも、絶食とほぼ飲まずで今日で7日目でしたから不安がないといえば嘘になります。

結局、それが最後の挨拶になりました。

最期に立ち会うことは出来ませんでしたが、愛猫はこの最後の日にも奇跡のような時間をもらえました。

以下は、メールのやり取りで教えてもらった愛猫の奇跡の時間です。

 

私が自宅を出た後にも、もう一度エサを舐めたそうです。今度は器のほうから直接。

また、私は日曜日以来、一度も愛猫の声を聞いていないのに、呼びかけると返事をし、背伸びをしてから爪研ぎまでしたそうなのです。

その後に水を飲んで、トイレにも行けたそうです。

昼前には元気だった頃のようにリラックスした体勢で横になるほど穏やかな寝姿だったそうです。もちろん、横になるだけで眠ることは出来ないようでしたが…。

昼過ぎには今日も少しだけ外に出してもらい、日向ぼっこを楽しみ、風の匂いを嗅ぎ、玄関先で背中をゴロゴロとして掻くような仕草をみせ、周囲の様子を伺い、玄関先の狭い範囲ではありますが、ウロウロと動き回るほどの元気を見せたようです。

さすがにもう、と自宅に入れると、水をしっかりと飲んでからトイレも済ませ、元気だった頃のようにトイレの砂をガサガサと脚で蹴る仕草までやってのけ、大好きなゴムブラシでのブラッシングもしてもらい、もう一度スプーンから液状のエサをなめたそうです。

亡くなる僅か2時間前に、これだけ日常を満喫出来たのは、まさに奇跡だと思います。

このまま回復するのでは、と母も感じるほどだったそうです。

メールのやり取りをしながら母も私も奇跡を信じ始めていましたが、やはり早々奇跡は起きないようです。(十分すぎるほどの奇跡の力を見せてくれましたが)

大丈夫なのかもしれないね、とメールをかわした僅か1時間後、14時半ごろでしょうか「後ろ足が動かなくなりました。自力でベンチに上がれません」とメールが入りました。

覚悟はしていたものの、その場に立ち会えないもどかしさ…。

ベンチは愛猫のお気に入りの場所です。

本当はもう一段高い場所が一番のお気に入りでしたが、そこに登る力がないと分かってからは、木製ミニベンチが定位置になっていました。

あれほど穏やかに過ごしていた1時間前が嘘のように、口を開けて苦しそうに呼吸をし、それでもなお自力でベンチに上がろうとしたようです。

最後の1時間弱は呼吸もままならず相当きつかったようで、母からその様子を教えてもらいながら涙が止まりませんでした。

母にとっても辛かったと思いますが、愛猫を一人で逝かせずに済んで安堵しました。

案外、お気に入りの場所で一人でこっそり逝こうと思っていたのかもしれませんが…。

 

最後まで一生懸命生き抜いた愛猫は、最期にいびきをかくような呼吸を数回した後に息を引き取りました。

眠ることができずにいたので、最期まで目を開けてすべてを見つめながら短い生涯を閉じました。

瞼を閉じてもらった愛猫は、ようやく眠れたからでしょうか、とても穏やかな顔でした。

すでに冷たくなった愛猫に「やっと楽になれたね。頑張ったね」と声を掛けお別れをしました。

急変から僅か7日で愛猫はこの世を去りました。

今頃は極楽でのんびり日向ぼっこをしていることでしょう。

 

大変長い、誰も楽しくない話だったと思いますが、これで愛猫の闘病記を終わりたいと思います。

ダラっとした文章でとてつもなく読みにくかったと思いますが、最後まで読んでいただいた方がおられましたら、ありがとうございましたとお礼申し上げます。

これを書いたことで、私の中では心の整理ができました。

これで終わり、と言いつつも、これを書いたことで自分の中で整理できとこと、ああしておけばよかったのかも、という思いも生まれましたので、それをまとめて終了にしたいと思います。

あと一回だけ書きまますので、見てみようか、というお気持ちの方は次回までお付き合いいただければと思います。

それでは、近いうちにまた。